体験談 RTくん(22歳・東京)
Autistic(自閉症児)と診断されて
息子は現在22歳。1歳半の時に自閉症と診断されました。
妊娠中は、夫の転勤でタイで生活をしていました。
2歳半で帰国するまでの約4年間現地で暮らしました。
出産後はごく普通に生活をしていましたが、1歳が過ぎて歩きはじめるころから徐々に視線が合わなくなり、さらに「ママ…」と言い始めていた言葉が消えてゆき、床にゴロゴロと寝転ぶことが多くなりました。
2歳に近付く頃には、声を出しながらジャンプしたり、声をかけてもほとんど
振り向かなくなっていました。
日に日に不安が募り、初めはあまり気にとめていなかった夫も心配し始め、
現地の病院に相談することにしました。
診察では、私の膝に座った息子に先生がボールペンを持って子供の顔に近づけて追視できるか観察しようとしましたが、息子はそのペンを振り払い、するりと膝から降りて床のミニカーで遊び始めてしまいました。
その様子をみて先生は、「Autistic(自閉症児)…」と一言おっしゃいました。
不安が現実のものとなり、診察室を出てしばらくは南国の日差しの射す中庭でボーっとしていました。
すぐに言語療法士STによる言語療法がはじまりました。
当時のドクターは殆どアメリカへ留学して学んでいるので、リハビリもまたアメリカと同じように進んでいるようでした。
テーブルを挟んでSTと向かい合って座り、STが積み木を机に強くトントンと叩きます。
その音に驚いて積み木を見たその視線を捕えてSTは積み木を自分の目の高さに持っていき子どもと視線があったところで「積み木」と発音します。
そういった療法を家でも繰り返しましたが、これからどうなるのか、不安は募るばかりでした。
自閉症じゃない理由ばかりを探していました
なんとか情報が欲しいと思いましたが、当時はまだ自閉症に関する書籍も殆どなく、パソコンも普及する前で、なんとか自閉症に関する本を1冊手に入れることができ、何度も読みました。
「自閉症…自閉症っていったいどんな病気なのだろう?改善方法は?」
「子供に一体何が起きているのだろう。」
けれどもその症状には当てはまらないことも多く、あてはまらないところを探しては一喜一憂する毎日でした。
駐在生活では子供を預けて外出する機会も多かったので、そのせいで子供が不安になって心を閉ざしてしまっているのかもしれない。この子は想像以上にデリケートなのかもしれない。抱っこや話しかけが足りなかったのか、一人でビデオを見せておく時間が長かったのか、タイ語と日本語二つの言語に混乱しているのか・・・とにかく私のせいで息子がこうなったと思うことで、私がなんとかできるかもしれないと考えました。
本を読めば、「自閉症はお母さんのせいではない、脳の障害で治ることはない」と書いてあるので、その方が私にとっては辛かったのです。
とにかく日本での子育ての様にずっと一緒にいて、話しかけ本を読み、絵カードをみせ、手遊びをして過ごしました。
手遊びには良く反応し、とても喜んで段々と視線があうようになり、笑顔で催促するまでになりましたが、声をだしながらジャンプをしたり、つま先立ちで歩くことは治らず、要求は欲しいものに私の手を押し付けるというクレーン現象になっていました。
言葉はまったくでませんでした。