取り組んだ方々の声

体験談 RTくん(22歳・東京)

模索の日々が続きました

少しづつ自閉症であることを受け入れざるを得ない状況でしたが、とにかく改善に関する情報が乏しく、日本に帰ればもっと何かあるはずと思い、まだ任期中ではありましたが、家族で帰国を決めました。

期待を持って帰ってきた日本でしたが、思うように事は進みませんでした。
療育センターも希望者が多く順番待ちという状況でした。
なんとか入れたものの、タイのような個別の言語療法は受けられません。

そこでまず、ポーテージプログラムという障害のある乳幼児の療育に取り組みました。
3歳近くになっていましたが、まだ一人で手を洗うこともできませんでした。
まず、蛇口に視線を合わせると言うことから難しく、手の力を加減して蛇口を回したり、流れる水に手をあててこすり合わせるという一連の動作が、視覚、触覚などの感覚系の混乱や運動の統合が苦手な為にとても難しかったのです。
それらを手を添えながらひとつひとつのステップに分けて練習しできるようにしていきました。
トイレトレーニング、靴を履くこと、○や×の文字を書く基礎となる運筆の習得など、たくさんできることが増えました。
けれども、やはり言葉の段階で進まなくなってしまいました。

ただ、文字はよくわかっているようで、壁に貼った50音表を良く見ていましたし、「き」を指して一生懸命発音しようとしていました。
そこで家中に文字を書いたカードを貼って物の名前を教えました。
テレビには「テレビ」のカード、冷蔵庫には「冷蔵庫」と書いたカード。
家中カードだらけになりましたが、よく覚えすぐに絵本や図鑑に興味を持ち、私に読めと一つ一つ指差すので何度も何度も名詞を発音して楽しみながら覚えていきました。
同時に文字も覚えたようでひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字は自然におぼえていったようです。
帰国した時に通じた単語は「牛乳」と「いちご」だけでしたが、知っている単語はとても増えて、また本や図鑑で学んでいるのでカテゴリーという概念も自然と理解できたようです。
動詞もカードを作り、やってみて教えましたが、「もってくる」「おいてくる」など、二つの動詞でできている言葉を理解させることにとても苦労しました。

そうしているうちに、自閉症で知的障害といわれていたものの、息子の目を見ていると、とてもよく分かっているのではないかと思い始め、何とか表現できるようにならないものだろうかという思いが募りました。

そう考えていた時に出会ったのがドーマン法でした。
ドーマン法では、生理面、行動面、知性面、においてアプローチしてゆきました。
肢体不自由であれ発達障害であれ問題は脳にある脳障害であるということから、全て脳に良い刺激を与えるという考え方でプログラムが与えられます。
そこでは、子供の知性を伸ばすことは可能であること、障害という枠にはめて特別扱いする必要はなくきちんと教育し尊厳をもって自主的に行動できるよう育てること、運動はとても重要であり、脳の成長を促すことなどなど、たくさんの事を学びました。
また、脳障害は生涯のうち脳卒中や事故、認知症など誰でも負う可能性があり、脳機能に完全と言うことはなく、誰でも多少の障害はあるものだなど、少し気が楽になる考え方を教えてくれました。
休みなく研究所から出されたプログラムを行っていましたが、費用と親の労力がとてもかかる為に5年ほどで集中プログラムを降りることにしました。

ドーマン法で、毎日の食事指導からサプリメントの摂取まで栄養管理を学んだことはその後も続けることにしました。
毎日の生活を出来るだけ安定して生活する為にとても役に立っていると感じていたからです。
今ではアンチエイジングや健康管理の為にあたりまえのように目にするDHA、EPA、ビタミンC、アミノ酸、なども含まれていました。

そのころ、自閉症は脳の中に溜まった重金属が原因の一つらしく予防接種が関係しているのではないかということが言われるようになり、テレビで、水銀のキレート治療をした子供が大きく改善したと報道されたりしました。

知人にも試している人もいましたが、とにかくその治療をしている医師が日本にはほとんどいないことや、重金属が排出される過程で行動障害など大変な副反応が現れることもあると聞いて躊躇していました。

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